sakstylr
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Jan 13, 2009
3:06am
生物を定義することを巡って
- joe_kuga: @ sakstyle 石はやっぱり普通には生きていないけど、石に名前つけたら生きていると見なせると思うんですよw山田とかw「みなみけ」の話だけどwそうすると、結局「生きている」ってのは、主観的な判断に過ぎないってことですよね。客観的な基準は作れないって感じで。 [http://twitter.com/joe_kuga/status/1113190288]
- sakstyle: @ joe_kuga http://d.hatena.ne.jp/k16/20080624 の真ん中らへんの「「わかる」ことの主観性の大切さ」とその下の質疑応答とか見てみて [http://twitter.com/sakstyle/status/1113199035]
- sakstyle: @ joe_kuga 「人が何を生命と見なすかが問題なのではないですか。」「そこで僕が強調したいのは、さっきも言った「寄り添うことの大事さ」なんです」 [http://twitter.com/sakstyle/status/1113200680]
- joe_kuga: 読んだ。[http://twitter.com/joe_kuga/statuses/1113218765]
- joe_kuga: まだ完璧に理解できている訳じゃないけれど、ここでいう生命ってのは「寄り添う」というレベルではなく、同一視(同種視)って感じがする。人格化されたものは生命として認める、というような。さっきの「みなみけ」の山田(石ころ)にも繋がるけど。[http://twitter.com/joe_kuga/statuses/1113232908]
- joe_kuga: @ sakstyle こんな感じの結論になりました。つまり普遍的な生命基準(誰しもXを生命だと認識するレベル)は達成できないけれど、客観的な基準(人格化されたXは生命)というものは可能、って感じ。 [http://twitter.com/joe_kuga/status/1113240574]
- sakstyle: @ joe_kuga まあそんな感じですよね。その池上さんって人は、多分その両者をぐーっと近づけたいんだと思いますよ。というか、つながるんだという確信のもとで研究をしている、というべきか。それってどうなのという議論はありえます [http://twitter.com/sakstyle/status/1113252526]
- sakstyle: @ joe_kuga これは俺の推測なんだけど、池上さんって人工生命とか作ってんだよ、で、それを発表するのね「これ、生命じゃないッスか」って、すると駄目出しされると、他の学者から。じゃあ、これならどうっすかって他のを作ると、そういうのをがんがんやってんじゃないのかなあと [http://twitter.com/sakstyle/status/1113269798]
- at_akada: 生物の定義の話なのかー。生物かどうかってそんな重要な違いなのかなー [http://twitter.com/at_akada/status/1113226359]
- Anklang: @ at_akada なんでしょう、主に倫理的な問題? [http://twitter.com/Anklang/status/1113227959]
- at_akada: @ Anklang まだインタビュー読んでないけど、倫理の話ではないんじゃないかなー。というか、倫理の話であれば「感覚を持つか」、進化の話であれば「再生産するか」など、そのつどの関心に応じて定義を変えた方がうまくいきそうなのにと思った。 [http://twitter.com/at_akada/status/1113236517]
- sakstyle: @ at_akada 生命をつくろうとしているからではないか、と思います。人工生命でもロボットでも高分子でもいいんですが、なんか生命っぽい振る舞いするけど、これって生命っていってもいいのかな、と。 / その背景には、「作れば分かる」という考えがあるっぽいですね [http://twitter.com/sakstyle/status/1113242122]
- pubkugyo: @ at_akada でも、たとえば倫理の分野で生命を定義しようとするとき、ひとまずはどこかの分野でなされた定義と整合的であろうとするのではないですか(のちに改訂的に議論するとしても)。その点で、どこの分野からも参照されやすい基点に、生物学での定義はなりそうに思うのですが。 [http://twitter.com/pubkugyo/status/1113242977]
- at_akada: @ pubkugyo うーん、それもわかるんですが、「意味という概念を使わない方が意味の分析はうまくいく」みたいな裏技もあるんじゃないかなーとかそういう気分でした。 [http://twitter.com/at_akada/status/1113248652]
- at_akada: @ sakstyle 講演録を見つけたので読んでみます。「作れば分かる」という発想はわりと共感できます。 [http://twitter.com/at_akada/status/1113250621]
- pubkugyo: いや、でも人間の定義を聞かれてホイジンガを参照する学者もいるしなあ。 [http://twitter.com/pubkugyo/status/1113256251]
- shokou5: 生物学における生物の定義は論争の対象で、曖昧です。セントラルドグマも改訂されてきていますし、厳密な定義をせずとも研究を進めることはできるのです。クリック(やコッホ)は意識研究でも同じ戦略を取っています。 [http://twitter.com/shokou5/status/1113267359]
- pubkugyo: @ contracito 生物学が、@shoukou5 さんのおっしゃるとおり定義を曖昧にしたままでも進めていけるのだと確認したなら、とりあえず共通了解がなされている部分は押さえたうえで、(@at_akada さんがおっしゃるように)自前で議論用の定義を立てるべきなんでしょうね。 [http://twitter.com/pubkugyo/status/1113285760]
- at_akada: うーんとりあえず「生物」というのは定義によってつくられるものではなく、元々あるものなので、「定義」は本当はしちゃだめなんじゃないかな。これまでの用法を元にした分析や目的に応じた「操作的定義」なら許されるかもしれないけど。 [http://twitter.com/at_akada/status/1113301524]
- Anklang: @ at_akada さんがどれくらいのレベルで話を想定されてるのか完全にはわからないですけど、「生物」って言葉のもともとの使用法からするとはっきりしない、境界線に位置するような例が出てきてしまっている時点ではっきり人為的な定義はやっぱり必要なんじゃないですか? [http://twitter.com/Anklang/status/1113309146]
- at_akada: 『ワードマップ 生物の哲学』が準備されているという噂を聞いた。 [http://twitter.com/at_akada/status/1113310686]
- shokou5: @ at_akada 生物が元々ある、という直感を支える「生物」のプロトタイプがあるはずなのですが、それがどこまで適用できるのか、が定義を巡る議論となるのでしょう。プリオンは?とか、最初の生命は?とか。 [http://twitter.com/shokou5/status/1113311065]
- at_akada: @ Anklang それは目的に応じてということになるんじゃないかしら。しかし、「境界が曖昧でかつ区別ができるもの」というのはある(昼と夜とか)し、境界が曖昧なのはそんなに致命的なことではないと思う。 [http://twitter.com/at_akada/status/1113314967]
- Anklang: @ at_akada それはそうですね。確かに、多くの人にとって生物と非生物の定義を厳密にすることは特に有益じゃないですし。 [http://twitter.com/Anklang/status/1113319916]
- at_akada: @ shokou5 むずかしいですね。境界的な例がいろいろでてくるのはわかるんですが、「定義」と言ってしまうとちょっと目的に対する乖離を感じてしまいます。 [http://twitter.com/at_akada/status/1113339645]
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